広い心
明治天皇崩御100年の節目を迎えた7月30日、明治天皇を偲ぶ百年祭の記事が新聞に紹介された。
その祭典式の「明治天皇大和舞」の和歌は、明治天皇10万首の御製の中からご生涯の代表作「あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな」に作曲・振り付けされ神職が舞ったとのこと。
私はその御製の和歌を読み深い感慨を抱かざるをえないのです。
「澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな」何という広さだろう、幾度も読み返しつぶやいてみた。
明治から今日までの日本の歩みは、大きな進歩や繁栄と経済恐慌や戦争の激動を経て、幾たびも国民の生きかた考え方、国の政策もが変革され、今もまた領土問題や世界経済の不安、高齢社会や少子化、医療福祉や税の問題、政治不安が深まるなかで、明治天皇の御心のこの和歌は、人の分別を超えた神の領域に通じるものを感じ、この式典に関わった方々や舞われた神職の皆様に深い敬意を新たにした。
そこで、この広大な視点から現在の日本の宗教を観測してみると、全ての宗教団体が国の政策の術に嵌まり偏狭で小さな枠のなかに封じ込められている。
宗教団体や神社・寺院・協会がお祀りする神々や仏・菩薩、精霊・御霊は、世界中の人類が祈りと願いの中から基軸となる論理を積み重ねてきたもので、これは私たちの教えでこれとこれは私達の神あるいは仏などあろう訳がなく、人類みなが縛られずに共有する権利であると思う。
どうでしょうか皆さんは、信者とか檀家とかとなれ、或いは氏子などと呼ばれ、神様や仏様とご先祖や氏神さまのテリトリーや担当範囲が分かり理解出来ますか。
そんなものは実際はあってないのだから誰にも分からないのです。
例えば地平線があるが然し実際にはない。自然界の万物の生存もそれぞれであるが全てが相互に作用して存在が成り立っているとおりです。
どこが林でどこからが森なのか、しかも無数の植物や虫も生息して森林という、神仏や菩薩・精霊に線引きしてくれと言われたって何ともならん。
どんな宗教もすべてを含有して「神」「仏」というのではないでしょうか。だからこそ俺のところが最高だと思ってみんな頑張っていられる。
宗教団体だけではない。あらゆる産業、生産製造、食料品、技術者やサービス、販売、医療、教育、福祉、団体、何もかもが行政により縛りで線引きされ不自由を感じているでしょう。
法治国家とは元来法律条例の最後に記されているとおり、「施行」であって混沌としたコンガラガッタ状況を制限するものではなく「ほどこす」事が政治の役割だと思う。
「澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな」こんな広い心に国民みんなで到れるよう努力を重ねていきたいと誓願する。